三代王権を訪ねて

私は第二王亨進様と共に歩むものです、しかしブログの内容は聖殿教会(サンクチュアリ教会)とは関係ありません、私の私案です。

二代王様、韓国帰還

韓氏オモニによりお父様は殺され、二代王様と国進様は韓国から追い出されました

 

二代王様は2015年「沈黙を破って」でそれまでの経過、お父様の後継者としての決意を表明されました

 

その後、二代王様は「韓国はサタンに95%支配されてる聖殿食口は韓国から出なさい」と指示されます。韓国は死んだという意味でしょう。

 

2022年、春、二代王様はユン韓国新大統領の就任式前に韓国に帰還されました(お父様の指示だったと思います)

二代王様が韓国に「帰還(帰る)」という言葉を使われて私の背中に電流が走りました。あの大罪を犯した韓国に帰還。お父様の韓国の想いは、、、

 

私は二代王様が日本に来られて京都、奈良へ二回、お供しました

二代王様は京都、奈良がお好きのようです

 

その京都に韓国系学校、京都国際高校(元、京都韓国学園、校歌は韓国語)があります

 

この京都国際高校について、すこし語ります

 

京都国際高校は小さな学校で、約、15年前に経営難に陥り、存続を心配せれましたが、なんとか、持ちこたえました、

そんな学校に野球部があるのですが弱く、甲子園大会、京都府予選では一回戦勝っただけでも「やったー」「万歳」でした

 

その京都国際高校、野球部が2022年、春の甲子園大会に春、夏あわせて、初出場しました、昔から、この学校を知ってる者としては、奇跡です。

 

そうです、二代王様が初めて韓国に帰還された2022年春にです

運勢という言葉はできませんが、、、、偶然という言葉も使いたくありません

 

そして京都国際高校は春、夏甲子園大会によく出場するようになり今年2024年の春の甲子園大会にも出場します

 

そして二代王様は2024年4月に韓国に帰還されます。その韓国では国の運命を大きく左右される総選挙があります

 

お父様を想いながら二代王様と共に歩みます

神様のグレートリセット

1980年代

お父様はエバ国(日本)にいる在日韓国、朝鮮人の民団(アベル)と朝総連(カイン)をエバ国が一つにし、その勝利圏を韓半島に連結し韓国と北朝鮮を一つにして、その国を「神様の国」にしようとされたがエバ国は勝利できず成されなかった

 

2008年4月6日、ハワイにて

お父様は目の前に韓氏オモニ(エバ)を立たせ、その右手に顕進様を左手には国進様、3名を立たせ韓氏オモニに国進様(アベル)と顕進様(カイン)を一つにするように命ぜられる

2008년 4월 6일, 하와이 킹가든 tp 700k - YouTube

 

しかし韓氏オモニはアベルとカインを一つにしなかった

それが原因の一つだったのでしょう。お父様が予定された2012年「神様の国」建国はなされなかった

 

2012年

2012年、本来は韓半島を統一し「神様の国」建国の予定だったけど成されなかった、しかし、お父様は昇和される約4ヶ月前に後継者である亨進様(アベル)と国進様(カイン)が真の御家庭で初めてアベル、カイン一体したと宣布せれ「これで成された」と言われました

そして、このアベル、カインの一体化はエバの仲介によるものではなく「父子協助時代」の結実でありアダム(お父様)の仲介によるものなのでしょう

復帰摂理ではエバが仲介してアベル、カインの一体化させなければならないのが成されなかったので秘策でお父様がアベル、カインの一体化を仲介されたのでしょう、

そして「これで全てが成された」と宣言された

秘策を使ってでもアベル、カインの一体化させなければならないのはお父様の昇和が近づいているのをお父様が知っておられたからだと思います

そしてお父様はアベル、カインの一体化宣布をされた後9月3日に昇和されます

 

2015年1月18日

亨進様は「沈黙を破って」を公開され、お父様の後継者として第二王として出発される

「沈黙を破って」の内容は真の母の立場にいた韓鶴子氏がお父様を裏切り、自らが神様の一人娘でありメシアであると宣布し亨進様がお父様の後継者であることを否定しお父様が作られた組織から追い出したという内容です

アメリカ。ペンシルバニアで苦悩の日々を送られた第二王様は2015年1月18日に

「沈黙を破って」を公開される

 

その後、第二王様は世界平和統一聖殿、サンクチュアリ教会を設立され、紀元節制定、

康賢実氏をお父様の妻として迎えられ。秋にはアメリカの参戦勇士、クリスチャン、愛国者を集められ「鉄の杖祝祭」を開催、テネシーに清平を再創造され新たな三代王権の基盤を構築されていきました

 

そして2025年

2021年5月ダボス会議で2025年「グレートリセット」を行うと発表

公式には言ってませんが「グレートリセット」とは世界を各国の政府が国を統治する体制から統一政府が世界を管理、支配する体制に移行するという意味です

グローバリスト(サタン勢力)が世界を支配し始めるということです

しかし神様は「ハイそうですか、どうぞ」という方ではありません

神様がアダム、エバを中心にこの世を地上天国、完成しようという直前に天使長ルーシェルは妨害し天使長ルーシェルがこの世の支配者となりました

 

神様としては創造主の立場で「やられたらやり返す」権利を持っておられます(説明が長くなるので省略します)

 

お父様は紀元節を2013年1月13日に宣布される(神様の国、建国)予定でした、そして、その日をDdayとなぞらえておられました

 

Ddayとは第二次世界大戦アメリカ軍を中心とした連合軍(神側)がドイツ(サタン側)に大反撃(ノルマンディー上陸)した日で、その日が1944年6月6日です

 

こうして見てみますと神側がサタン側に反転攻勢(大反撃)する時サタン数(13,6)の日に行います、サタンの主権を奪い神様主権を立てるという事だと思います

 

ですのでグローバリスト(サタン勢力)が目指してる世界支配2025年か

サタン数が並ぶ2026年に

 

神様主権実体国(天一國)が、この世に現れるのではないか私は予想します

再臨のメシアの為の民族(韓国)(日本)

統一教会の食口の中に、そして韓国、既成キリスト教信徒の中に「韓国人始祖はダン族」と考えてる人がいます。私もその内の一人です

「韓国人始祖はダン族」の可能性を調べて

ヤコブとビルハの間に生まれたヤコブの5番目の息子ダン(族)と6番目の息子ナフタリ(族)の摂理上の立場を考えてみます

 

1,お父様の御言葉(2007年3月9日、第1章、復帰基台摂理時代より)

 

「、、、このようにして、ヤコブ家庭は将来、メシアを迎えるための民族的蕩減路程を出発したのである。、、、事実、神はヤコブの家庭をしてサタン世界であるエジプトに入らしめて400年間の苦役の道を歩ませながら既にアブラハムに祝福なさった御言葉のように選民として立てて再びカナンの地へ帰ってくるようになさった後「メシアの為の民族的な基台」をつくらせて、この基台の上にメシアを送って復帰摂理を完遂しようとされたのである、、、」

 

ヤコブの12人の息子の内の4番目の息子「ユダ」の子孫から「イエス様」が生れました

そしてヤコブとビルハの間に二人の息子が生まれたヤコブの5番目の息子が「ダン」と6番目に生まれた息子が「ナフタリ」です

 

2,「ダン」に対する父、ヤコブの予言

 

創世記49,16~18

 

「ダンは自分の民を裁く、イスラエルの部族の一つのように」

「ダンは道端の蛇となり小道のほとりの毒蛇となり馬のかかとをかむと乗り手はあおむけに落ちる」

「主よ私はあなたの救いを待ち望む」

 

士師記に登場する人物達はイスラエルの民を救う人(サムソン、ギデオンその他)です

そして彼らを「裁く者」とも表現されています

 

ですので「ダンは自分の民を裁く」と書かれてるが「ダンは自分の民を救う」と読み取れます

なぜかというとヤコブの最後の言葉に「主よ私はあなたの救いを待ち望む」と書かれているからです

 

そしてダンは毒蛇となり馬のかかとをかむと乗り手は馬から落ちます

馬は「この世の権力の象徴」で乗り手は「王、支配者」です

ですからダンはこの世の王達を倒すという意味になります

ちなみに馬にとって「かかと」は急所です

 

ヨハネの黙示録に白、赤、黒、緑の4頭の馬が登場します、この4頭の馬はこの世を支配する勢力の象徴だと言われています。

この4つの勢力の内の巨大な悪的な勢力(ディープステイト、グローバリスト、軍産複合体)は世界を支配しています、しかし悪勢力にも、かかと(急所)があります、その、かかとをかむのがダン族です

 

再臨のメシアと共にダン族(韓国)はこの世を変えていくのでしょう

 

3,聖書の中のダン族、1(白衣の民)

 

ヨハネの黙示録7節全て読んでください(長いので聖書を開いてください)

「この後、私は地の四隅に~~~神が彼らの目から涙をことごとく拭ってくださるからである」

 

7節の前半を見ると、イスラエル12部族の額に神の刻印を押されます、その中にダン族がいません、なぜダン族だけいないのか?

 

しかし7節の後半に韓民族(ダン族)が現れます。「白い衣を着た大群衆(民族)」こそが韓民族でありダン族です、韓民族の別名は「白衣の民」です

「白衣の民は神の玉座のまえにいて昼も夜も神殿で神に仕える」は再臨のメシアと共にです、そして再臨のメシアを迎えるために「白衣の民」は4300年間、罪を血で洗う苦難の歴史を通過し再臨のメシアが誕生しています

 

お父様のみ言葉(第23回、神の日)より

 

韓民族のことを白衣の民といいますが、それはどんな意味があるのかというと、汚れのないきれいな民であるという意味なのです。このような民こそ天を支えることに歴史を代表することのできる民である~~」

 

4,聖書の中のダン族、2(サムソン)

 

イスラエル民族で一番の怪力者はダン族のサムソンです。いや世界で一番かもしれない

素手で宮殿の柱をなぎ倒すサムソンの怪力の源は髪の毛(神の毛)です

 

そして韓国の世界的な企業はサムソンです

 

5,古代、韓半島イスラエル人が来た

 

北朝鮮の西部に流れる大同江流域で古代ヘブライ語が書かれた瓦が発見せれている

瓦に書かれたヘブライ語の内容は

 

「団結して神の国に入れ」

「到着した」

箴言を敎える師士が統治する」

「聖徒が祈ることで神の國が回復される」など

 

このヘブライ語で書かれた瓦が韓半島で発見されたということは古代、韓半島イスラエル人(ダン族でしょう)が来たのは間違いありません

 

ヘブライ語で書かれた瓦は光州の國立博物館,ソウルの國立中央博物館に置かれています

 

6,檀(ダン)君神話

 

韓国の建国神話と言えば「檀君神話」です

檀君」は韓民族の始祖です

「檀」は名前で「君」は様の意味ですので「檀君」とは「檀様」となります

なぜ「檀(ダン)君神話」なのでしょう。それはダン族の神話だからでしょう

 

韓民族の始祖である檀君の思想には「弘益」があります

「弘益」とは、「すべれの人を幸せにする」という思想です

神様の息子アダムには不可欠な思想です、そして韓国ソウルに弘益大学があります

 

1~6の内容を総合的に考慮した結果、韓民族の中核にダン族があり韓民族の先祖は「ダン族」ということになります

 

ここで、このブログの「聖書にあるエバ国(日本)の根」もう一度、読んでの結論です

 

ヤコブとビルハの間に生まれた二人の息子、ダン(韓国)、ナフタリ(日本)は再臨のメシアの為の摂理民族(国)の出発です

 

しかしお父様、二代王様、三代王様の三代王権がダン族であると断定したわけではありません

日本の天正宮は群馬に

2022年7月、二代王様は日本の各地に行かれ講演されました、その間、お腹の調子が悪くお粥、うどん程度しか食べられなかったそうです。いろいろな薬を飲んでも効果なく「こんな事、初めてだ」と言われました。

 

二代王様のお腹の不調の原因は霊的に打たれたのだと思います

 

その中、二代王様は「群馬」が一番、落ち着くということで日本の天正宮の地は「群馬」に指定されました。二代王様は群馬で霊的に安らぎを受けられたのでしょう。

 

それは群馬が霊的に清められているからでしょう。

 

では、なんで群馬の地が霊的に清められていたのでしょう、これからは私の考察です

 

飛鳥時代、群馬にいたクリスチャン秦氏太夫グループが神様、イエス様を称え、伝道に精誠を尽くす生活をしたので群馬が霊的に清められたと思います

 

まずは「群馬」の名の由来

 

飛鳥時代、日本に馬はいました、その中、群馬にいた秦氏(羊太夫グループ)は多くの馬を飼っていたのでしょう、大陸から日本に来た彼らは馬を多く飼う習慣、知識を持っていたのでしょう

 

当時、馬は貴重(農耕用、軍事用)な動物でしたので、馬の売買をしながら伝道したのではないでしょうか

 

あまりにも馬が多くいるので、その地を「群馬」と呼ばれたのでしょう

 

群馬にいた羊太夫(グループ)の意味

 

飛鳥時代の日本に羊はいません、当時の日本人は羊は何なのか知りません

 

なのに彼らは自らを「」と名乗りました。羊と名乗ったのは「私たちはイエス様に従う者達」という意味です

 

太夫」とは本来の意味は、神職、官職の最高位の位置です

 

ですから「太夫」の意味は

 

「私たちはイエス様に従う最高の弟子達」

「私たちはイエス様に従う精鋭の弟子達」となります

 

そして「羊太夫」の墓だろうと、いわれてる所から「十字架」が見つかっています

 

このように「羊太夫」を名乗ったいた彼らは群馬の地で神様、イエス様と共にある生活をし、祈りを捧げ、伝道も精誠を込めてやっていたことでしょう。

 

群馬には「羊太夫グループ(秦氏)」の神様、イエス様に対する熱く、深い信仰の情が刻み込まれ清められたのでしょう、

 

では秦氏族(羊太夫グループ)の先祖を簡単に紹介します

 

紀元前、北イスラエル国出身の、あるユダヤ人(部族はわかりません)はシルクロードを通って中国に定住し秦と名乗りました

 

ある日、秦村にイエス様の教えを伝えるユダヤ人が来てイエス様の生涯、教えを秦村で拡げていました。そして神様、イエス様を受け入り秦一族はクリスチャンになりました

 

秦一族は家族単位、もしくは氏族単位でおおいに伝道を展開し中国大陸に多くのクリスチャンを誕生させました

 

そしてクリスチャン秦氏は海を渡った大きな島国(日本列島)があるのを知り、そこをキリスト国にしようと日本に渡って来ました

 

日本の書物の記録には天皇が技術、知識を持ってる秦氏を招き入れたと書いてありますが、そうではありません、秦氏は日本をキリスト教国にする為、自ら大陸から海を渡り日本に来たのです

 

日本に来たクリスチャン秦氏は日本全国で伝道しました

 

その痕跡

 

1,青森のイエス様の墓伝説

 

2,能登モーセの墓伝説

 

3,全国にのこるペトログラフ

 

4,「いろは歌」は「とが(罪)なく死すイエス」の暗号文字

 

5,京都の伏見稲荷は、もとはキリスト教

 

6,京都の広隆寺、奈良の法隆寺はもとはキリスト教

 

7,イエス様をモデルにした聖徳太子伝説

 

8,諏訪(諏訪大社)と聖書との共通点、イエス様の湖の上を歩く御神渡

 

その他

 

その中で「羊太夫グループ」は群馬に崇高なキリスト教地域を作ったのでしょう

DNAが語る、日本男子の三分の一はユダヤ系

遺伝子の中にy染色体があります、このy染色体は、お爺さん⇒お父さん⇒息子(男系)へと、受け継がれていきます。

 

このy染色体の種類は18種類あり、そのうちYAP遺伝子配列を持っているのがE系統とD系統だけです(神様が遺伝操作されたのでしょう),ですのでE系統とD系統は元は一つで別れたのではないかと考えられます、E系統とD系統は兄弟ですアブラハムの時は一つだったのでは)

 

今、世界でユダヤ人男性のy染色体はE系統が多く日本男性のy染色体40%がD系統です

 

韓国の男性のy染色体はO系統が多くD系統の男性はごく、わずかです。中国男子にはy染色体はD系統がまったく見られません。日本男性だけがy染色体40%がD系統です、これは異常な数字です

 

では日本にD系統がこんなに多いのか?

 

日本に来たD系統、ユダヤ人(藤原氏秦氏、その他)は日本国内で貴族、地方役人、神主、神社関係者、特殊技術者となり、国内で戦った武士にはあまりなりませんでした、戦いで死んだのはD系統以外の男性でした。そして国内で飢餓が起こってもユダヤ人は上層階層でしたので食料は確保し生きながらえD系統以外の庶民は死んだのでしょう

 

戦いで死んだ男性の妻とD系統の男性が結ばれ子供ができるケースもあったと思います

 

飛鳥時代、日本国内に、僅かしかいなかったユダヤ人が、こうして現在、日本男性の40%がユダヤ系(y染色体D系統)日本男性が増えたのでしょう

 

日本の歴史を書物で着色出来たとしても、日本人の血統(DNA)までは着色出来ません

 

YouTubeの久保有政氏の「DNAで分かった日本人とユダヤ人の親戚関係」を参照してください

郊祀(こうし)

天皇家万世一系に関する考察です

 

先ずは「郊祀」という祭事について説明します。

 

秦の始皇帝が中国を統一し行った祭事が「郊祀」です

天帝(天にいるこの世を支配する存在)に始皇帝は中国を統一したことを報告し天帝から中国の王である任命を受ける祭事が「郊祀」です

それから中国では国が滅び新しい国ができたら初代、王は「郊祀」を行いました

そして時には中国国王の意向でも「郊祀」が行われました

 

日本で初めて「郊祀」が初めて行なったのは初代天皇神武天皇と書物に書かれていますが、しかし神武天皇の存在自体、疑われていますので、この記録も信じられません

 

明らかに「郊祀」を行った天皇は京都に都を遷した桓武天皇です

 

桓武天皇は父である光仁天皇天智天皇の孫)を配主とし「郊祀」を行ないました、それも二回、行っています

 

これまで都は何箇所も移されましたが「郊祀」が行われたのは桓武天皇が初めてです

 

桓武天皇が行った「郊祀」の意味は、天帝に新しい血統(百済王族)の天皇の始まりの報告と認証を受ける為だったのでしょう

 

私はこれまで天皇家始祖は天智天皇百済王子)と主張してきました

 

それを証する桓武天皇が行った「郊祀」です

 

そして「郊祀」が行われた交野には当時、百済王族が住んでいました

 

天皇家万世一系とは天智天皇百済王子)を始祖とし天智天皇百済王子)の孫(光仁天皇)から現在の令和天皇まで続く血統だと思います

非武装平和主義

近代に入る以前の世界は国を王や首長が軍隊を持ち国を治めていました

 

20世紀に入ると世界は革命、民主化運動により各国の王は国の統治権、軍の最高司令官位から外され国のシンボル的な存在になりました

 

しかし日本においては平安時代には、天皇が軍隊を捨てた、いや、捨てさせられたのです

 

794年、桓武天皇は都を京都に移しました

 

その当時、大和政権の支配地域は今の東北の南端まででした

 

東北は蝦夷人(と呼ばれていた)が住み、支配していました

 

桓武天皇は東北を平定する軍団だけ残して天皇が指揮する軍団を捨ててしまったのです

 

821年、桓武天皇は武力で東北を平定すると、その軍団も解散させ天皇自ら天皇軍を放棄しました

 

日本の民は兵役が無くなり、喜んだでしょう

 

奈良時代まで天皇が軍隊を指揮していたのに、なぜ、桓武天皇は日本軍(天皇軍)を失ったのか

 

日本列島は周り海に囲まれているので外国勢力の侵略を受けにくいから?

 

イヤイヤそれでも侵略を受ける可能性が0でない以上、防衛準備は必要です

 

そして、国内の内乱を鎮圧するにも天皇軍が必要です

 

1221年、後鳥羽上皇承久の乱

 

1333年、後醍醐天皇建武の新政

 

この二つの争いは天皇上皇が武士団を集め幕府を倒し政権を奪い返そうという争いです

 

天皇家の政権に対して強い意欲があるのがわかります

 

天皇は非武装平和主義者ではありません

 

私の考えですが、桓武天皇が自ら天皇軍を捨てたのではなく、貴族、藤原一族により天皇軍を放棄させられた。です

 

この結論、私のブログを一通り読まれた方には理解できるのではないかと思います

 

要点だけまとめて説明します

 

奈良時代、最後の称徳天皇女性天皇)には子供がいなく称徳天皇は次期、天皇を僧侶の道鏡と考えていました

僧侶、道鏡天皇になれば、天皇の周辺も僧侶になる、そうすると朝廷内から藤原一族は追い払われてしまう

これまで藤原一族は天皇外戚関係を築き天皇に影響を与えてきた、しかし称徳天皇は藤原一族のコントロールを受けず独自行動をとるようになった

藤原一族の存亡の危機です、

藤原一族は道鏡への天皇譲位を阻止し、称徳天皇を病を理由に隔離(その後、死亡、暗殺されたかも)

藤原一族は次期、天皇は自分がコントロール出来る人物を選ぶことにした

そこで、選ばれたのが百済王族の子孫、白壁皇子です、百済王族も百済天皇の復活を熱望していたので、大歓迎です

そこで、藤原一族が百済天皇、復活に百済王族に出した条件があったと思います

藤原一族から百済王族に出された百済天皇復活の条件(私の想像です、全て根拠がありますが長文になるので書きません)

1,韓国との縁を切る

2,新しい天皇の皇后は藤原一族から出す

3,政治は藤原一族が行う

4,近い将来日本軍、天皇軍は廃止する(天皇が軍隊を持てば独自行動をとり、藤原一族が天皇をコントロール出来ないから)

 

こうして藤原一族は天皇を支配したのでしょう