太秦ーーーーー中国の史書ではローマを大秦と書きました。太秦は大秦(キリスト教国ローマ)からつけられたのでしょう。秦氏は自分たちがいる所はキリスト教国ローマ(大秦、太秦)であり、 ここから日本全土にキリスト教を広めて行こうという決意があったのでしょう。
うずまさーー「うずまさ」の語源はアラム語の「うしゅ(いしゅ)、ましゃ(救い主イエス)」からきている。地名を「うしゅ(いしゅ)、ましゃ(救い主イエス)」と付けたのは、東方キリスト教徒、秦氏は常にイエス様を想い、イエス様と共にいたのでしょう。
ローマは当初キリスト教徒を迫害していたが、380年、キリスト教を国教に変えました。日本ではローマのキリスト教国化を知った秦氏は日本もキリスト教国にしたいという熱い想いで自分たちが住んでいる所をキリスト教国ローマ(大秦、太秦)を地名にしました。
1、いろは歌
東方キリスト教徒はアジア各地で文字を持たない民族を伝道する時は、その民族の言語にあっ
た文字を作り、その文字を教え、聖書をその創作した文字で書きキリスト教伝道していました。
す。
2、日本のペトログラフ
創ったのではないかという文字があります
その中の一つに韓国のハングル文字と思われる文字が日本のペトログラフに、ありハングル文字
も東方キリスト教徒が創った文字の可能性ありです
3、日本各地に東方キリスト教徒の伝道の足跡
の伝道の足跡です。
稲荷(いなり)の語源は「INRI」でしょう。イエス様が十字架にかけられた時、十字架の上部に
語の詰まり音に母音を付け発音することがある(例、GODをGODO,ゴッド)「INRI」の「N」詰まり
音に母音「A」を付け「INARI」「いなり」と発音したのでしょう。
ですから「いなり神社」は元々は「十字架にかかった神の子イエス教会」だったのです。
のような所ではなかったかと思います。
7、山伏とユダヤ人修行者
います。
しょう。
め多くの天満宮を造りました。
藤原氏は亡くなった人が現世、生きている人に影響を与えることを信じていました(全国にある御霊神社もそういう考えで造られました)
たことでしょう。
奪われたくなかったのでしょう。
したと思います。
の後頭部に鉄杭をうちつけられています。これはイエス様が復活しないようにしたのではないかと
思います。
「イエス様復活防止装置」なのでしょう。
全土をキリスト教化し日本をキリスト国にする計画があったのではないかと思います。
た。
歴史研究家の間で藤原種継が、なぜ暗殺されたかというのは、まだ謎のままです。
教国、日本」を拒否したのです。
です。
ました。
上記の内容は詳しい説明が必要なのですけど、かなりの長文になりますので省略します。
本を見守っていきます。
私は日本は神様の娘になることを願います。
日本には神様、イエス様を愛した心情が浸み込んでいるのです。
忘れないでください。