三代王権を訪ねて

私は第二王亨進様と共に歩むものです、しかしブログの内容は聖殿教会(サンクチュアリ教会)とは関係ありません、私の私案です。

【2010年 摂理の分岐点】

2012年、神様の予定では韓半島を統一(韓国、北朝鮮)し、その国が天一国(神様の国)となるはずでした。
 
 しかし、神様の願いは成されなかった。なぜ、成されなかったか?を2010年に焦点を当てて考えてみます。
 
 
まず、復帰摂理においてメシアを迎えるにはアベルとカインが神様を中心に一つになることが必要条件です。
 
 
1992年にも天一国(アダム国)建国のチャンスがありました、その方法は日本(エバ国)の国内(胎内)にある民団(アベル)と朝総連(カイン)を日本(エバ)が一つにし、その運勢を韓半島に連結し韓国(アベル)と北朝鮮(カイン)を一つにし天一国建国の予定でした。
 
 
2012年の天一国建国の条件もエバが神様を中心にアベルとカインを一体化させなければ成らなかったのでしょう。
 
 
その摂理が2008年4月6日ハワイで第49回真の父母の日に行われた礼拝で、お父様に向かって真ん中に韓鶴子氏、彼女の右手側に顕進様が立ち、左手側に国進様が立ち三者はお父様に敬礼をしました。
 
 
その後、,お父様の御言葉に「韓鶴子氏を中心に霊界では興進様と孝進様、地上では国進様と顕進様のアベル、カインが一体化する」と語られました。
 
 
この「アベル、カイン一体化」の摂理こそ2012年、天一国建国(南北統一)を成就するための内的勝利条件だったと思われます。
 
 
韓鶴子氏を中心にアベル、カイン一体化」摂理の勝利の期限が2010年だったと思われます。なぜなら内的勝利を外的勝利に展開するには、ある程度の年月がかかるからです。
 
 
2012年、天一国建国(外的勝利)するには遅くとも2010年には内的勝利「韓鶴子氏を中心にアベル、カイン一体化」摂理が勝利しなければならない訳です。
 
 
しかし、韓鶴子氏はお父様から与えられた「アベル、カインの一体化」の使命を成されなかったのです。
 
 
そういう、とても重要な年、2010年、エバ国である日本にどういう暗示があったのか、確認します
 
 
を参照してください
 
 
2010年、日本にどういう暗示があったのかを紹介します
 
 
1,日本の摂理的運勢表示体である阪神タイガースを見て
 
 
日本の摂理的運勢表示体である阪神タイガースを見て2010年からタイガースのユニフォームを着ることになった新人二人を注目します。ドラフト1位で入団した二神一人選手とドラフト2位で入団した藤原正典選手です、この二人の名前から日本の摂理を探ります。
 
 
①二神一人
 
(善悪を知る木であるエバ(日本)は善(真)なる神か、悪(偽)なる神か二神から一人を選びなさい)
 
 
②藤原正典
 
(藤原を普通、一般的には「フジワラ」と呼びます、しかし彼の場合は「フジハラ」と呼びます元々は藤原は「フジハラ」と呼んでいたのが後に「フジワラ」と呼ぶようになったのでしょう藤原「フジハラ」というのは当初、最初の藤原という意味があるのでしょう、飛鳥時代、日本をプロデュースした藤原鎌足藤原不比等、親子を意味していると思います)
 
 
詳しくは「タイガースは日本の運勢表示体」をご覧ください。
 
「タイガースの創造原理的内容」
 
「タイガースの堕落論的内容」
 
「タイガースの復帰原理的内容」もご覧ください。
 
 
2,坂本龍馬龍馬伝)をNHKが一年間放送
 
 
この坂本龍馬は日本を代表し1920年韓国に誕生される再臨のメシア(文鮮明先生)誕生、協助するはずだった神様が準備された人物だと思われます。1867年に坂本龍馬は暗殺されるが、2010年、龍馬伝を放送したということは神様が坂本龍馬に託された願いが復活したしたとおもわれます。
 
 
詳しくは「龍馬の天稟」
 
「龍馬の天的使命」をご覧ください
 
 
3,日本誕生(奈良遷都)1300年目
 
710年から奈良時代が始まった、この奈良時代から倭国から現代の日本国へと産まれ変わる出来事があった。
 
飛鳥時代までは「大王」と呼んでいたのを天武天皇から「天皇」に呼称を変えた
②国の呼称を「倭」から「日本」へと変更
③日本の神話である「日本書紀」「古事記」が編纂されたのは奈良時代初期です。
 
詳しくは一神教から多神教へ」をご覧ください。
 
 
4,日韓併合100年目
 
 
神様が韓半島に再臨主を送る直前に日本は韓国を併合し4300年の韓民族の血脈を絶ち韓半島で再臨のメシア誕生を妨害した。この出来事はエデン園でエバがアダムを誘惑し肉的堕落した事に匹敵する行為だと思います。
 
詳しくはエバ国の根」
 
「再臨のメシアと日本に与えられた特別祝福」をご覧ください
 
 
結論
 
2010年は、日本の摂理的決断の年、神様を選ぶか、サタンを選ぶかの重要な年であったと私は考えています。