この日本書紀と古事記、両方に第25代天皇、武烈天皇が登場します
古事記に出てる武烈天皇の記事は25代、武烈天皇は、いつ生まれ、いつ死んだか、簡単に、しか載っていません
一方、日本書紀に登場する武烈天皇はどういう人物であったか詳しく書かれています
その中から武烈天皇の異常な行為を紹介します
3,人の髪を抜いて木登りをさせ、木の根元を切り倒し、登らせた者を落として殺して面白がった
4,人を池の樋に入らせ、そこから流れ出る人を三つ刃の矛で刺し殺して喜んだ
5,人を木に登らせて、弓で射落として笑った
6,女を裸にして平板の上に座らせ、馬を引き出して、面前で交尾を見させた。女たちの性器を調べ、潤っているもの(すなわち愛液が分泌されている者)は殺し、潤っていない者は、奴隷として召し上げた。これが楽しみであった
そして天皇家の正史(正式な歴史書)は日本書紀で、古事記は読まないらしいです
ですから歴代の天皇は武烈天皇の異常な行為を知っていたのです、そして悲しんだのでしょうか?笑ったのでしょうか?
660年、百済は新羅、唐連合軍に滅ぼされました、その時の新羅王は武烈王です(日本では奈良時代より50年前の出来事)
日本書紀が書かれたのは奈良時代の初めの頃ですから、日本書紀を書いた著者は、百済を滅ぼした新羅、武烈王を知っています
ですので新羅王、武烈王を日本書紀には25代、武烈天皇と置き換え、ののしったのではないかと思います
お父様の御言葉に「日本が韓国を攻めるのは韓国を恨む思いがあるからだ」という内容の話を聞いたことがあります。誰か正式なお父様のみ言葉、知っておられる方がおられたら教えてください
百済人の新羅(韓半島)に対する恨みが日本にあるのではないかと思います。百済人の恨みを解怨しなければなりません