三代王権を訪ねて

私は第二王亨進様と共に歩むものです、しかしブログの内容は聖殿教会(サンクチュアリ教会)とは関係ありません、私の私案です。

韓国のあばら骨、百済王子(豊、豊璋)

天智天皇の正体をお話します。天智天皇が韓国(百済)のあばら骨です

 

645年、中大兄皇子天智天皇)が皇極天皇の前で蘇我入鹿を切り殺しました。

(殺した理由は省略します)

 

その殺害現場にいた古人大兄皇子が自宅に戻って書いた記録書には

 

「韓人が蘇我入鹿を殺した、悲しい」(現代語訳)と書いています

 

「韓人」とは韓半島にあった高句麗百済新羅の三国を総称した言葉です

 

中大兄皇子天智天皇)は韓人です。

 

蘇我入鹿は今でいう総理大臣のような人物です。

 

そういう蘇我入鹿を殺し罰を受けず、後に天皇になったのですから、

 

「韓人、中大兄皇子天智天皇)」はかなりの高貴な立場だったからです。

 

当時、大和のいた高貴な「韓人」と言えば、百済皇子、豊(日本名、豊璋)だけです

 

天智天皇の正体は百済、最後の王、義慈王の息子、豊(日本名、豊璋)です。

 

韓国(百済)のあばら骨は百済、王子、豊(日本名、豊璋)です。

 

そして、その後、百済王子、豊(天智天皇)は新羅、唐により滅ぼされた百済を復興する為に倭の大軍を連れて百済に行きますが、新羅、唐連合軍に負けてしまい、百済復興は出来ませんでした

 

そして、桓武天皇の父、光仁天皇天智天皇の孫です