先ずは「郊祀」という祭事について説明します。
秦の始皇帝が中国を統一し行った祭事が「郊祀」です
天帝(天にいるこの世を支配する存在)に始皇帝は中国を統一したことを報告し天帝から中国の王である任命を受ける祭事が「郊祀」です
それから中国では国が滅び新しい国ができたら初代、王は「郊祀」を行いました
そして時には中国国王の意向でも「郊祀」が行われました
日本で初めて「郊祀」が初めて行なったのは初代天皇、神武天皇と書物に書かれていますが、しかし神武天皇の存在自体、疑われていますので、この記録も信じられません
桓武天皇は父である光仁天皇(天智天皇の孫)を配主とし「郊祀」を行ないました、それも二回、行っています
これまで都は何箇所も移されましたが「郊祀」が行われたのは桓武天皇が初めてです
桓武天皇が行った「郊祀」の意味は、天帝に新しい血統(百済王族)の天皇の始まりの報告と認証を受ける為だったのでしょう
私はこれまで天皇家始祖は天智天皇(百済王子)と主張してきました
それを証する桓武天皇が行った「郊祀」です
そして「郊祀」が行われた交野には当時、百済王族が住んでいました
天皇家、万世一系とは天智天皇(百済王子)を始祖とし天智天皇(百済王子)の孫(光仁天皇)から現在の令和天皇まで続く血統だと思います