三代王権を訪ねて

私は第二王亨進様と共に歩むものです、しかしブログの内容は聖殿教会(サンクチュアリ教会)とは関係ありません、私の私案です。

天皇の先祖は韓国人(文鮮明先生の御言葉)

1991年、韓国に来た6500双の集会にお父様が、語られた内容

 

 日本の皇室のルーツは韓国にあります。日本人は皆、分かるようになったでしょう、それは先生の功労です。今までアカデミーを通してズーと歴史を研究、研究、研究させて、そして発表して、今どうにもならないのです。韓国に来てみれば、日本の三種の神器など、どこにも、あります。だから、それを見て「フーフーそんなことは知らなかった」と言うのです。だから、君達は、もともと故郷に帰って来たと考えなさい、分かりましたか?(ハイ)213-236

 

お父様は天皇の先祖は韓国人だと、言われています。

しかし具体的な話はされていません。

ここで、これまで私が研究した「天皇の先祖は韓国人」について結論を申します

天皇家の先祖、天智天皇の正体は百済最後の王、義慈王の五男「豊」「日本名、豊璋です」

しかし決定的はありません。

ですので状況証拠を集めて説明します。

尚、前もってブログ内のエバ国の根】【一神教から多神教に】を読んでいただいたらありがたいです

そして、韓国では天皇の先祖は金海金氏(金海出身の金氏)と言われています。

泉涌寺

京都の泉涌寺の中にある霊明殿には歴代天皇の位牌が置かれています。と、いうことは、その一番古い天皇天皇の先祖であることが分かります、

 その一番古い天皇天智天皇です。天智天皇天皇家の先祖です。

 霊明殿には歴代天皇天智天皇から昭和天皇までの位牌が置かれていまが、しかし天智天皇の弟である天武天皇と天武系の天皇達の位牌は置かれていません。

 天智天皇の父、舒明天皇そして母、皇極天皇そして弟、天武天皇の位牌は霊明殿には在りません。これは事実です。私が直接、泉涌寺に行き、泉涌寺のお坊さんから聞いて確認しました。

 神話では天智天皇の父、舒明天皇そして母、皇極天皇そして弟、天武天皇となっていますが。事実は血縁関係はありません。

 天皇家は二つの立場があります

 1,公的天皇古事記日本書紀に書かれた天皇家

東京の皇居には神武天皇から昭和天皇まで祀られています、

天皇が京都に来られる時は数日前には京都市内の交通規制を発表されます。

 2,私的天皇(公には公開されていない真実の天皇家

 泉涌寺の霊明殿では天智天皇から昭和天皇まで(天武系天皇は除く)の位牌が置かれています。そして天智天皇の以前の天皇の位牌もありません。

天皇泉涌寺に行かれる時(先祖参り)、京都駅から泉涌寺までの交通規制は事前発表はなく突然、交通規制が行われます。

なぜ天皇家に二つの立場があるのかは天皇家と藤原家の争い】をご覧ください 

天智天皇は百済王子、豊(豊璋)

645年、中大兄皇子天智天皇)が皇極天皇の前で蘇我入鹿を切り殺しました。

その殺害現場にいた古人大兄皇子が自宅に戻って書いた記録書には

「韓人が蘇我入鹿を殺した、悲しい」(現代語訳)と書いています

「韓人」とは韓半島にあった高句麗百済新羅の三国を総称した言葉です

中大兄皇子天智天皇)は韓人です。

蘇我入鹿は今でいう総理大臣のような人物でした。

そういう蘇我入鹿を殺し罰を受けず、後に天皇になったのですから、

「韓人、中大兄皇子天智天皇)」はかなりの高貴な立場だったからです。

当時、大和のいた高貴な「韓人」と言えば、百済皇子、豊(豊璋)だけです

天皇家は百済人

1,百済系皇子は新羅明神に監視されています

天智天皇百済人)の息子、大友皇子天武天皇によって殺されました大友皇子の墓は大津の三井寺にあり、墓の目の前には百済を滅ぼした新羅から持って来られた新羅明神大友皇子を見張るように置かれています。

 

2,光仁天皇 (百済系)は天武系の血筋をすべて排除

770年、天武系天皇称徳天皇)が途切れた後、天智天皇系の光仁天皇が即位しました。

772年、光仁天皇の井上皇后(天武系)と息子を幽閉し暗殺します

781年、光仁天皇百済の避難民の子孫の高野新笠の間に産まれた桓武天皇が即位

天武系の妻である井上皇后と息子を殺しれでも百済の女性との間に産まれた皇子を後継者にするということは天智天皇系の光仁天皇百済人だからです。

 

3,百済天皇の復活宣言

桓武天皇は郊祀を百済王族支配地(大阪、交野)で行いました。

桓武天皇が日本で初めて郊祀を行いました。

この「郊祀」を行うということは以前の天皇と我々(天智天皇系)とは血統が違うことを意味しています。

【郊祀とは】

王朝が滅び新たな王朝の最初の王が天帝から王位を頂く儀式

 

4,憎き武烈王をののしる

日本書紀は親百済的に書かれてと言われています

そして、天皇家の正史は日本書紀であり、古事記は見ないそうです。

日本書紀武烈天皇の悪行が書かれています。紹介します。

人の爪を抜いて、芋を掘らせた」

「人を木に登らせて、弓で射落として笑った」

「妊婦の腹を裂いて、その胎児を見た」

「人を池のに入らせ、そこから流れ出る人を三つ刃の矛で刺し殺し喜んだ」

「女を裸にして平板に座らせ、馬を引き出して女の面前で馬を交尾させた。女性器を調べ潤っている者は殺し、潤っていない者は奴隷として召し上げた。これが楽しみであった」

百済を滅ぼしたのは新羅の武烈王です

百済人にとって武烈王は憎き人物

日本書紀に武烈王(武烈天皇)の悪行を書くことにより怨みを晴らしたのです

ちなみに古事記には武烈天皇の悪行は書いてありません。

 

5,百済をクダラと読みますね

「本家」を韓国語でクンジベ(大きな家)と言います

「本国」になりましたら国は韓国語ではナラですので「本国」はクンナラになります。

クンナラクダラと音変化したのでしょう。

ですから朝廷内では百済を「本国」と呼んでいたのです

天皇家と藤原家の争い

奈良時代の最後の天皇称徳天皇(天武系の女性天皇)は皇位を僧侶、道鏡に譲ろうとしました。

もし道鏡天皇になったら天皇の周辺は僧侶で配置されます、そうしますと朝廷内から藤原氏が排除されてしまいます。

藤原氏は天武系天皇そして称徳天皇(天武系の女性天皇)をコントロール出来なくなりました。

そこで藤原氏天智天皇系(百済人)、光仁天皇を復活させコントロールします

天智天皇系(百済人)一族も皇位に戻れるならと、藤原氏の指示を受け入れます。

藤原氏から天皇家への指示内容

1,政治は藤原氏にまかせる。

2,天皇の皇后は藤原氏の女性(歴代天皇の皇后のほとんどは藤原氏女性です)

3,日本国軍を無くし、天皇は軍事行使権を持たない

平安時代平安京)とは誰の平安?

藤原氏ユダヤ、ナフタリ族)の先祖の念願であった日本支配を完成させたのです。

平安とは藤原氏ユダヤ、ナフタリ族)にとっての平安です。

平安時代平治の乱保元の乱平清盛の台頭、そして後醍醐天皇建武新政天皇家が実権を奪い返そうというクーデターだったと思います(説明は省略)

【2022年、神様が愛する韓国、日本】 ①

1920年、韓国に再臨のメシアが誕生されましたが、その50年ほど前の韓国(朝鮮)は国家としての体をなしていない酷い状態でした。
 
朝鮮は中国(清)より強く干渉を受けていまして新しい王が即位する時は清(宗主国)の承認が必要だったのです。故に朝鮮は完全独立国家とは言えない状態でした。
 
 
そして国内では清に従っていくことがいいことだと考える事大主義が主流になり自主独立の精神が失われていました。
 
 
宮廷では常に権力争いがあり国内の政は賄賂で決められる腐敗政治が蔓延していていて両班(貴族)が民を支配する封建体制で多くの民は貧しさと飢えに苦しんでいました。こういう状態の韓国で再臨のメシアを迎え入れる事はできませんでした。
 
 
そういう朝鮮(韓国)に再臨のメシアを受け入れる国造りのための神様が準備された革命が1884年12月4日起った両班の一部の集団、親日改革派がおこしたアベル型革命「甲申政変」です。
 
 
しかし「甲申政変」は三日天下とも言われ一度は親日開化派による政権が出来たのですが、閔妃(王妃)の依頼を受けた清軍が革命を武力で鎮圧しました。
 
 
親日開化派に協力した日本の竹添公使は仁川に逃亡、金玉均親日開化派の一部も竹添公使に従い仁川に逃げそのまま船で日本に逃げ革命は失敗しました。
 
 
この「甲申政変」はお粗末な革命でありました。
 
 
「甲申政変」甲は最初、一番という意味があります、韓国ではキリスト教の神様をハナニム(最初の方)と言います。ですから甲は象徴的にキリスト教の神様を意味します。
 
 
そこで甲申の意味は「神様に申し上げます」という意味になります。そして金玉均親日開化派は神様が準備されたグループだったと思います。
 
 
 
金玉均親日開化派が韓国を封建体制から再臨のメシアを迎え入れる近代民主国家に作らなければならなかったのに革命に失敗してしまいました。
 
 
この「甲申政変」は韓国に再臨主を迎え入れための革命であり再臨主を中心とした復帰摂理で重要な革命だったのです。
 
 
そして「甲申政変」を成功させるにはエバ国(日本)の援助を受け成功させなければならなかったのです。
 
 
しかしエバ国(日本)から充分な支援を受けずに革命を決行してしまったので「甲申政変」は失敗に終わってしまいました。
 
 
そしてエバ国(日本)を代表し日開化派親を援助し「甲申政変」を成功させようと神様が準備された人物が坂本龍馬だったのです。
 
 
まさしく海を渡り支援する「海援隊」なのです
 
 
金玉均親日開化派がエバ国(日本)を代表し坂本龍馬の協助を受け「甲申政変」を成功させ、近代民主主義国、韓国を建国したなら彼等は「韓国建国の父」と尊敬されたでしょう。
 
 
しかし「甲申政変」が失敗することにより、サタンは神様が準備された親日派を利用することになります。韓国内では親日派は悪の根源のように扱わらてしまいます。
 
 
そして現在に至っては日韓併合慰安婦問題、徴用工問題を持ち出して韓国と日本の関係を引き裂こうとしていま。
 
 
今の韓国の姿は神様が願われた本来のアダム国ではなく、肉的堕落しサタンに支配される惨めなアダム国になってしまいました。
 
 
アダムはエバが自分を誘惑したから堕落してしまったと思い続けてエバをウランだのではないかと思います。
 
 
そしてアダムのエバに対するウラミが今日の韓国(堕落アダム)の反日として現れているのではないかと思います。
 
 
昔から韓国では理想の男性像は(包容力のある太っ腹な男)(サナイ、勇猛果敢な開拓者)です。
 
 
神様が願われる本来のアダム国(韓国)は第3アダムである、お父様(文鮮明先生)に似た国であるはずです。

【2022年、神様が愛する韓国、日本】 ②

ここで韓国、日本の間でアダム(国)を迎える為の動き(パターン)がありますので紹介します
 
日本国内で韓国人が韓国独立を宣言します
韓国で独立運動が行われます
アダム(国)誕生
 
では具体的な歴史的動きを紹介します
 
(明治時代)
 
李東仁、日本で韓国独立宣言    
甲申政変(韓国独立革命)失敗
親日派による大韓民国(アダム国)誕生 、失敗
 
 
日帝時代)
 
YMCA(東京)にて韓国留学生による韓国独立宣言
韓国にて、柳寛順を中心に韓国独立運動
韓国、定州にて第3アダムである文鮮明先生誕生
 
 
(令和時代)
 
YMCA(東京)にて在日韓国人を中心に韓国独立宣言(2021年2月28日)
2022年、韓国大統領選挙
新生、大韓民国(アダム国)誕生、予定
 
 
1992年は南北統一のチャンスの年でした。しかし南北統一は成されませんでした、その代わりに日本全国で「柳寛順の精神を相続しよう大会」が開催されました。
 
 
お父様の指示で「柳寛順の精神を相続しよう大会」を行いましたが、誰も「柳寛順の精神を相続しよう大会」の天的、意味合いを理解していた人はいませんでした。
 
 
韓国が日本に併合されている1919年3月1日柳寛順を中心に韓国独立運動が行われました。このことにより死んでしまった韓国は霊的に復活し1820年1月6日(陰暦)韓国、定州にて再臨のメシアである文鮮明先生が誕生されました。
 
 
1992年、日本全国での「柳寛順の精神を相続しよう大会」は死んだアダム国(韓国)を復活させ神様の願うアダム国を産む摂理だったと思います。
 
 
今の韓国は肉的堕落したアダムの姿でありサタン(左翼)に支配され死んでしまってる状態です。
 
 
1992年日本全国で「柳寛順の精神を相続しよう大会」開催
↓30年後
2022年、韓国大統領選挙
 
 
2022年、アメリカで中間選挙があります。
 
 
2020年、左派勢力の不正大統領選挙によりホワイトハウスは左派勢力に強奪されました。
 
 
2022年、アメリカの中間選挙でMAGA(アメリカを偉大な国にする)勢力が勝利して2024年の大統領選挙でもう一度、アメリカを神様、自由を愛する国に取り返さなければなりません。
 
 
そして2022年の韓国大統領選挙は韓国を神側に奪い返す独立運動だと思います。
 
 
2022年、第二王亨進様と共に勝利しましょう。