三代王権を訪ねて

私は第二王亨進様と共に歩むものです、しかしブログの内容は聖殿教会(サンクチュアリ教会)とは関係ありません、私の私案です。

日本の天正宮は群馬に

2022年7月、二代王様は日本の各地に行かれ講演されました、その間、お腹の調子が悪くお粥、うどん程度しか食べられなかったそうです。いろいろな薬を飲んでも効果なく「こんな事、初めてだ」と言われました。

 

二代王様のお腹の不調の原因は霊的に打たれたのだと思います

 

その中、二代王様は「群馬」が一番、落ち着くということで日本の天正宮の地は「群馬」に指定されました。二代王様は群馬で霊的に安らぎを受けられたのでしょう。

 

それは群馬が霊的に清められているからでしょう。

 

では、なんで群馬の地が霊的に清められていたのでしょう、これからは私の考察です

 

飛鳥時代、群馬にいたクリスチャン秦氏太夫グループが神様、イエス様を称え、伝道に精誠を尽くす生活をしたので群馬が霊的に清められたと思います

 

まずは「群馬」の名の由来

 

飛鳥時代、日本に馬はいました、その中、群馬にいた秦氏(羊太夫グループ)は多くの馬を飼っていたのでしょう、大陸から日本に来た彼らは馬を多く飼う習慣、知識を持っていたのでしょう

 

当時、馬は貴重(農耕用、軍事用)な動物でしたので、馬の売買をしながら伝道したのではないでしょうか

 

あまりにも馬が多くいるので、その地を「群馬」と呼ばれたのでしょう

 

群馬にいた羊太夫(グループ)の意味

 

飛鳥時代の日本に羊はいません、当時の日本人は羊は何なのか知りません

 

なのに彼らは自らを「」と名乗りました。羊と名乗ったのは「私たちはイエス様に従う者達」という意味です

 

太夫」とは本来の意味は、神職、官職の最高位の位置です

 

ですから「太夫」の意味は

 

「私たちはイエス様に従う最高の弟子達」

「私たちはイエス様に従う精鋭の弟子達」となります

 

そして「羊太夫」の墓だろうと、いわれてる所から「十字架」が見つかっています

 

このように「羊太夫」を名乗ったいた彼らは群馬の地で神様、イエス様と共にある生活をし、祈りを捧げ、伝道も精誠を込めてやっていたことでしょう。

 

群馬には「羊太夫グループ(秦氏)」の神様、イエス様に対する熱く、深い信仰の情が刻み込まれ清められたのでしょう、

 

では秦氏族(羊太夫グループ)の先祖を簡単に紹介します

 

紀元前、北イスラエル国出身の、あるユダヤ人(部族はわかりません)はシルクロードを通って中国に定住し秦と名乗りました

 

ある日、秦村にイエス様の教えを伝えるユダヤ人が来てイエス様の生涯、教えを秦村で拡げていました。そして神様、イエス様を受け入り秦一族はクリスチャンになりました

 

秦一族は家族単位、もしくは氏族単位でおおいに伝道を展開し中国大陸に多くのクリスチャンを誕生させました

 

そしてクリスチャン秦氏は海を渡った大きな島国(日本列島)があるのを知り、そこをキリスト国にしようと日本に渡って来ました

 

日本の書物の記録には天皇が技術、知識を持ってる秦氏を招き入れたと書いてありますが、そうではありません、秦氏は日本をキリスト教国にする為、自ら大陸から海を渡り日本に来たのです

 

日本に来たクリスチャン秦氏は日本全国で伝道しました

 

その痕跡

 

1,青森のイエス様の墓伝説

 

2,能登モーセの墓伝説

 

3,全国にのこるペトログラフ

 

4,「いろは歌」は「とが(罪)なく死すイエス」の暗号文字

 

5,京都の伏見稲荷は、もとはキリスト教

 

6,京都の広隆寺、奈良の法隆寺はもとはキリスト教

 

7,イエス様をモデルにした聖徳太子伝説

 

8,諏訪(諏訪大社)と聖書との共通点、イエス様の湖の上を歩く御神渡

 

その他

 

その中で「羊太夫グループ」は群馬に崇高なキリスト教地域を作ったのでしょう