三代王権を訪ねて

私は第二王亨進様と共に歩むものです、しかしブログの内容は聖殿教会(サンクチュアリ教会)とは関係ありません、私の私案です。

【2010年 摂理の分岐点】

2012年、神様の予定では韓半島を統一(韓国、北朝鮮)し、その国が天一国(神様の国)となるはずでした。
 
 しかし、神様の願いは成されなかった。なぜ、成されなかったか?を2010年に焦点を当てて考えてみます。
 
 
まず、復帰摂理においてメシアを迎えるにはアベルとカインが神様を中心に一つになることが必要条件です。
 
 
1992年にも天一国(アダム国)建国のチャンスがありました、その方法は日本(エバ国)の国内(胎内)にある民団(アベル)と朝総連(カイン)を日本(エバ)が一つにし、その運勢を韓半島に連結し韓国(アベル)と北朝鮮(カイン)を一つにし天一国建国の予定でした。
 
 
2012年の天一国建国の条件もエバが神様を中心にアベルとカインを一体化させなければ成らなかったのでしょう。
 
 
その摂理が2008年4月6日ハワイで第49回真の父母の日に行われた礼拝で、お父様に向かって真ん中に韓鶴子氏、彼女の右手側に顕進様が立ち、左手側に国進様が立ち三者はお父様に敬礼をしました。
 
 
その後、,お父様の御言葉に「韓鶴子氏を中心に霊界では興進様と孝進様、地上では国進様と顕進様のアベル、カインが一体化する」と語られました。
 
 
この「アベル、カイン一体化」の摂理こそ2012年、天一国建国(南北統一)を成就するための内的勝利条件だったと思われます。
 
 
韓鶴子氏を中心にアベル、カイン一体化」摂理の勝利の期限が2010年だったと思われます。なぜなら内的勝利を外的勝利に展開するには、ある程度の年月がかかるからです。
 
 
2012年、天一国建国(外的勝利)するには遅くとも2010年には内的勝利「韓鶴子氏を中心にアベル、カイン一体化」摂理が勝利しなければならない訳です。
 
 
しかし、韓鶴子氏はお父様から与えられた「アベル、カインの一体化」の使命を成されなかったのです。
 
 
そういう、とても重要な年、2010年、エバ国である日本にどういう暗示があったのか、確認します
 
 
を参照してください
 
 
2010年、日本にどういう暗示があったのかを紹介します
 
 
1,日本の摂理的運勢表示体である阪神タイガースを見て
 
 
日本の摂理的運勢表示体である阪神タイガースを見て2010年からタイガースのユニフォームを着ることになった新人二人を注目します。ドラフト1位で入団した二神一人選手とドラフト2位で入団した藤原正典選手です、この二人の名前から日本の摂理を探ります。
 
 
①二神一人
 
(善悪を知る木であるエバ(日本)は善(真)なる神か、悪(偽)なる神か二神から一人を選びなさい)
 
 
②藤原正典
 
(藤原を普通、一般的には「フジワラ」と呼びます、しかし彼の場合は「フジハラ」と呼びます元々は藤原は「フジハラ」と呼んでいたのが後に「フジワラ」と呼ぶようになったのでしょう藤原「フジハラ」というのは当初、最初の藤原という意味があるのでしょう、飛鳥時代、日本をプロデュースした藤原鎌足藤原不比等、親子を意味していると思います)
 
 
詳しくは「タイガースは日本の運勢表示体」をご覧ください。
 
「タイガースの創造原理的内容」
 
「タイガースの堕落論的内容」
 
「タイガースの復帰原理的内容」もご覧ください。
 
 
2,坂本龍馬龍馬伝)をNHKが一年間放送
 
 
この坂本龍馬は日本を代表し1920年韓国に誕生される再臨のメシア(文鮮明先生)誕生、協助するはずだった神様が準備された人物だと思われます。1867年に坂本龍馬は暗殺されるが、2010年、龍馬伝を放送したということは神様が坂本龍馬に託された願いが復活したしたとおもわれます。
 
 
詳しくは「龍馬の天稟」
 
「龍馬の天的使命」をご覧ください
 
 
3,日本誕生(奈良遷都)1300年目
 
710年から奈良時代が始まった、この奈良時代から倭国から現代の日本国へと産まれ変わる出来事があった。
 
飛鳥時代までは「大王」と呼んでいたのを天武天皇から「天皇」に呼称を変えた
②国の呼称を「倭」から「日本」へと変更
③日本の神話である「日本書紀」「古事記」が編纂されたのは奈良時代初期です。
 
詳しくは一神教から多神教へ」をご覧ください。
 
 
4,日韓併合100年目
 
 
神様が韓半島に再臨主を送る直前に日本は韓国を併合し4300年の韓民族の血脈を絶ち韓半島で再臨のメシア誕生を妨害した。この出来事はエデン園でエバがアダムを誘惑し肉的堕落した事に匹敵する行為だと思います。
 
詳しくはエバ国の根」
 
「再臨のメシアと日本に与えられた特別祝福」をご覧ください
 
 
結論
 
2010年は、日本の摂理的決断の年、神様を選ぶか、サタンを選ぶかの重要な年であったと私は考えています。

【一神教から多神教に】

京都の宮津にある籠神社(元、伊勢神社)の宮司さんのによりますと神道はもともと一神教だったと言われています。
 
伏見稲荷大社稲荷大神秘文に「それ神は唯一にして御形なしーーー」と書かれています、伏見稲荷大社でも一神教を主張していました。
 
明治時代、現在、神道研究者に神道は元々、一神教だったと主張する人達がいます。
 
その他の資料を総合的に考察してみると、「神道は元々、一神教だった」という結論に達します。
 
しかし現在の神道多神教です、神道一神教からどのように多神教に変わったのかを考えてみます
 
紀元前、紀元後、日本に忌部氏、卜部氏、物部氏、中臣氏、秦氏、少なくともユダヤ5氏族が渡ってきたと思われます。その中で秦氏だけがキリスト教に改宗し東方キリスト教徒として来日しました。
 
ユダヤ教徒は多民族にユダヤ教の伝道をしません。
 
しかしキリスト教徒(イエス様の弟子達)となったユダヤ人はアジアにおいて積極的にキリスト教道し幾つかの国、多くの民がキリスト教徒となりました。
 
ですので東方キリスト教徒である秦氏も日本でキリスト教伝道する為に来日したのでしょう。それが初期神道であり、初期神道は東方キリスト教だと思われます。
 
東方キリスト教徒である秦氏の本拠地はいつからかは分りませんが飛鳥時代には山背国(現、
 
京都市)の太秦(うずまさ)にありました。
 
太秦ーーーーー中国の史書ではローマを大秦と書きました。太秦は大秦(キリスト教国ローマ)からつけられたのでしょう。秦氏は自分たちがいる所はキリスト教国ローマ(大秦、太秦)であり、 ここから日本全土にキリスト教を広めて行こうという決意があったのでしょう。
 
 
うずまさーー「うずまさ」の語源はアラム語の「うしゅ(いしゅ)、ましゃ(救い主イエス)」からきている。地名を「うしゅ(いしゅ)、ましゃ(救い主イエス)」と付けたのは、東方キリスト教徒、秦氏は常にイエス様を想い、イエス様と共にいたのでしょう。
 
ローマは当初キリスト教徒を迫害していたが、380年、キリスト教を国教に変えました。日本ではローマのキリスト教国化を知った秦氏日本もキリスト教国にしたいという熱い想いで自分たちが住んでいる所をキリスト教国ローマ(大秦、太秦)を地名にしました。
 
そして、秦氏は日本各地で積極的にキリスト教伝道活動をしていたのでしょう。こうした秦氏伝道活動が初期神道を形成されていったと思います
 
東方キリスト教徒である秦氏の日本伝道の足跡
 
 
東方キリスト教徒はアジア各地で文字を持たない民族を伝道する時は、その民族の言語にあっ
た文字を作り、その文字を教え、聖書をその創作した文字で書きキリスト教伝道していました。
 
 
 そして日本では平安時代読み書きは漢字しかなく一般人には難しかったので秦氏表音文字 「ひらがな」を創りキリスト教伝道のツールに使おうとしたのでしょう。
 
 
そして、いろは歌には「とかなくてしするイエス(罪なく死すイエス)」という暗号が挿入されていま
す。
 
2、日本のペトログラフ
 
日本のペトログラフ(岩に刻みこまれた絵や文字)の中には東方キリスト教徒がアジア、各地で
創ったのではないかという文字があります
 
その中の一つに韓国のハングル文字と思われる文字が日本のペトログラフに、ありハングル文字
東方キリスト教徒が創った文字の可能性ありです
 
 
3、日本各地に東方キリスト教徒の伝道の足跡
 
 
青森のイエス様伝説、石川県のモーセの墓伝説、群馬県の羊太夫の伝説は東方キリスト教
の伝道の足跡です。
 
4,奈良時代、東方キリスト教徒は皇室を伝道していた
 
東方キリスト教徒はアジア各地で伝道する時、無料で薬を与えていました。奈良時代、光明
皇后はキリスト教伝道受け、その影響で貧しい人に医療を施す施設である「施薬院」を造りま
した。
 
奈良時代の仏教は貴族の為であり貧しい人々には目をむけられなかったのです。
京都の泉涌寺にも悲田院があります。
 
5、日本三大祭り、京都の祇園祭ユダヤキリスト教の影響をうかがえる
 
①京都の祇園祭イスラエルのシオン祭は共に7月に一か月行われる
 
祇園ギオン)とシオンと音が似ている
 
祇園祭山鉾巡行7月17日はノアの箱舟がアララテ山に到着した日
 
祇園祭で配われる、お札に「蘇民将来」と書かれています。この「蘇民将来」を家に貼れば難が過ぎて行くそうです、ユダヤの過ぎ越の祭と同じ考えです。
 
 
 6,秦氏系神社である稲荷神社は元々はイエス教会だった
 
稲荷(いなり)の語源は「INRI」でしょう。エス様が十字架にかけられた時、十字架の上部に
 
「INRI」(意味は、イスラエル、ナザレ、王、イエス)と書かれた板を貼られました。
 
昔、日本には「N、ん」の音が無かった(古事記日本書紀万葉集「ん」無し)そして、外国
 
語の詰まり音に母音を付け発音することがある(例、GODをGODO,ゴッド「INRI」の「N」詰まり
 
音に母音「A」を付け「INARI」「いなり」と発音したのでしょう。
 
ですから「いなり神社」は元々は「十字架にかかった神の子イエス教会」だったのです。
 
八幡神社も秦系神社ですので、稲荷神社、八幡神社は元々はキリスト教伝道の拠点で教会
 
のような所ではなかったかと思います。
 
7、山伏とユダヤ人修行者
 
山伏とユダヤ人修行者の姿がそっくりです、特に額に付けた小さな箱(山伏はトキン、ユダヤ
 
修業者はフィラクリティと言います)に山伏は経文、ユダヤ人修業者は聖句を書いた紙が入れて
 
います。
 
山伏の始まりは日本各地に修行、伝道に出かけた東方キリスト教徒(ユダヤ人)の姿だったので
 
しょう。
 
8,イエス様と聖徳太子伝説の類似性を調べてみます
 
①馬小屋(イエス様は馬小屋で産まれ。聖徳太子の母である穴穂部間人は馬小屋前で産気
 
づき聖徳太子を産みんだ。聖徳太子の正式名は厩戸(馬小屋)皇子とつけられた)
 
聖徳太子聖徳太子の意味は「聖なる徳のある次期王様」となる、イエス様も神様の息子
 
で、この世の王の王になられる予定の方だった、イエス様を漢字で表現すると「聖徳太子」です)
 
③母が処女で産む(イエス様も聖徳太子も母親は処女で産んだことになっている)
 
④大工の神様(イエス様は大工の職人でもある、日本の大工組合では聖徳太子を大工の神
 
様と祀っています)
 
法隆寺の救世(メシア)観音菩薩法隆寺の救世観音菩薩(救世主)のモデルは聖徳太子
 
(イエス様)と言われている、イエス様は救世主です)
 
⑥十人の話を聞く聖徳太子は十人の話しを聞きわけることができる、神様は多くの人の祈りを
 
同時に聞いて下さる、神様の息子のイエス様も同じ能力があると考えたのでしょう)
 
⑦京都、太秦にある蚕ノ社の三柱鳥居キリスト教の神様、イエス様、聖霊の三位一体の形
 
状化したものです。
 
 
 
1~8以外にも東方キリスト教徒、秦氏キリスト教伝道の足跡が日本の各地に残っていると
思います。日本には東方キリスト教徒の神様、イエス様を愛した心情が浸み込んでいるのす。
 
 
私は確率論を勉強していませんがイエス様と聖徳太子の偶然類似する確率は、ほぼ0%にな
るのではないでしょうか。
 
エス様、聖書を知っていないと聖徳太子伝説は書けないと思います、藤原不比等を中心に
古事記日本書紀が編纂された時、聖徳太子伝説にキリスト教徒が参加したのでしょう。
 
 
ここで藤原不比等秦氏東方キリスト教)の接触が確認できます。
 
藤原氏は日本を治めるには一神教より多神教が良いと考えたのでしょう。
藤原氏多神教神道への想いです。
 
 
平安時代藤原氏は自分たちが陥れた菅原道真の怨霊を恐れ、菅原道真の怨霊を鎮めるた
め多くの天満宮を造りました。
 
藤原氏は亡くなった人が現世、生きている人に影響を与えることを信じていました(全国にある御霊神社もそういう考えで造られました
 
 
では藤原氏はイエス様についてどう思っていたのでしょう、
 
 
エス様が十字架にかかったのちイエス様が復活し弟子たちがローマで永年、迫害を受けながら
もローマをキリスト教国家にしたのを藤原氏秦氏から聞き大きな衝撃を受けて危機感を感じ
たことでしょう。
 
 
藤原氏(来日ナフタリ族)は日本でようやく権力をつかんだのに、その権力をイエス様の復活で
奪われたくなかったのでしょう。
 
藤原不比等聖徳太子を通してイエス様を賛美しながらも日本でイエス様の復活を防ぐことに
したと思います。
 
奈良にある法隆寺聖徳太子に関わる寺ですが、その法隆寺にある救世観音菩薩像のモデ
ルは聖徳太子と言われています(法隆寺の救世観音菩薩聖徳太子=イエス
 
聖徳太子と関わりの深い法隆寺にある聖徳太子、イエス様の象徴像である救世観音菩薩
の後頭部に鉄杭をうちつけられています。これはイエス様が復活しないようにしたのではないかと
思います。
 
そして約450メートルの布で救世観音菩薩像をグルグル巻き、ミイラ状態にしたのは藤原氏でしょう。
 
藤原不比等は妻の名義で法隆寺に多額の支援をしています、法隆寺に影響力を持ち救世観
音菩薩に工作しイエス様の復活を抑え込もうとしたのでしょう。法隆寺の救世観音菩薩像は
「イエス様復活防止装置」なのでしょう。
 
藤原氏は政権安定のため秦氏との友好関係を維持していくのですが秦氏法隆寺の救世観
音菩薩像の存在を知らず藤原氏の「イエス様復活防止」の考えは分からなかったのでしょう
 
 
 
奈良から長岡京への遷都は秦氏の日本キリスト教国建国の歩みだったかも。
 
長岡京への遷都計画の責任者は藤原種継でした。藤原種継父は藤原清成。母は秦朝元
の娘)の母は秦氏系の女性で、長岡京秦氏の支配地です。
 
わたしの想像ですが、藤原種継秦氏の母から教育を受けキリスト教信者だったのでしょう。
 
そして長岡京秦氏キリスト教支配地)で天皇キリスト教を教え(藤原種継が中心に)日本
全土をキリスト教化し日本をキリスト国にする計画があったのではないかと思います。
 
しかし多神教派、藤原氏藤原種継を暗殺し日本キリスト教国計画は破綻してしまいまし
た。
歴史研究家の間で藤原種継が、なぜ暗殺されたかというのは、まだ謎のままです。
 
奈良時代後半、藤原氏秦氏と婚姻関係を結び秦氏の助けを受けながらも秦氏の「キリスト
教国、日本」を拒否したのです。
 
そして奈良時代、終盤期に天皇が天武系(称徳天皇)から天智系(光仁天皇桓武天皇)に
変わりました。天皇位奪還は天智系の人達の宿願でそれに協力したのが藤原氏多神教派)
です。
 
天智系天皇、樹立に協力した藤原氏は朝廷内で主導権を奪い日本に国軍を無くし(東北制
圧軍は除く)都を山背国(現、京都市)へ遷都したのでしょう。こうして日本は多神教国になり
ました。
 
上記の内容は詳しい説明が必要なのですけど、かなりの長文になりますので省略します。
 
平安時代、以降、藤原氏は軍事力を奪われた天皇と婚姻関係を結び続け第二の立場で日
本を見守っていきます。
 
私は日本は神様の娘になることを願います。
 
日本には神様、イエス様を愛した心情が浸み込んでいるのです
忘れないでください。

【タイガースは日本の運勢表示体】

1,1992年、神様の国、建国の予定でした。
 
1992年以前の数年間のタイガースは非常に弱く「セ・リーグのお荷物球団」「極弱球団」と呼ばれていました。
 
そして私は1992年のシーズンが始まる前に私は一部のタイガースファンに今年、阪神タイガースは優勝すると予想しました。
 
実はこの1992年は神様が準備された、「神様の国、建国」の年だったということは数年後、知りました、ですから1992年、当時、私は「神様の国、建国」予定の年ということは知りませんでした。
 
なぜ1992年タイガースが破竹の勢いで勝ち進み優勝は間違いない、と思われていたのが優勝できず結局2位に終わったのか?
 
その答は「日本の運勢表示体」であるタイガースは「神様の国、建国」の運勢に乗り勝ち続けたが「神様の国、建国」が成されなかった為にタイガースも運勢を失い優勝できなかったのです。
 
2,2008年は神様の国、建国の、長成期、完成級 
 
2008年、天一国建国に向かってお母様を中心に国進様(アベル)と顕進様(カイン)の一体化摂理が始まった、。

2008년 4월 6일, 하와이 킹가든 tp 700kを参照してください

 では「日本の運勢表示体」であるタイガース」にどんな暗示があったか、各ポジションに注目選手がいますので調べてみます。

 
投手(アダム)、藤田太陽ーーー太陽はアダムを象徴しているとおもいます
 
捕手(エバ)、清水誉ーーーーー清水の漢字を分析します。清は水(シ、サンズイへん       は水を意味します)、主、月、と分けられます。そして+水となります。以前、水は罪を象徴すると聞いたことがあります。清水=水+主+月+水です。こうして考えてみますと。
清水は霊、肉堕落したエバを象徴していると思います。
 
 
内野手(子女)、大和ーーーーー大和は日本を象徴しています
 
 
外野手(霊界)、赤星憲広ーーー天使長を象徴しています
 
この4名の選手でもってエデンの園を象徴していると思います。
 
 
3,2010年、アベル、カインの勝利しなければいけない年 
 
日本の摂理的運勢表示体である阪神タイガース。2010年からタイガースのユニフォームを着ることになった新人二人を注目します
 
ドラフト1位で入団した二神一人とドラフト2位で入団した藤原正典です、この二人の名前から日本の摂理を探ります。
 
①二神一人
 
(善悪を知る木であるエバ(日本)は善(真)なる神か、悪(偽)なる神か二神から一人を選びなさいと)
 
②藤原正典
 
(藤原を普通、一般的には「フジワラ」と呼びます、しかし彼の場合は「フジハラ」と呼びます元々は藤原は「フジハラ」と呼んでいたのが後に「フジワラ」と呼ぶようになったのでしょう藤原「フジハラ」というのは当初、最初の藤原という意味があるのでしょう、飛鳥時代、日本をプロデュースした藤原鎌足藤原不比等、親子を意味していると思います)
 
①と②の現象を見ますとエデンの園エバが天使長の誘惑を受けた時、神様の御言葉をとるか、天使長の言葉をとるか二つの内一つを選ばなければならない時と、同じ時を日本は迎えたと思われます。
 
2012年南北統一、神様の国(アダム国)建国を実現するには2010年お母様を中心にアベル(国進様)とカイン(顕進様)が一体化しなければならなかった年です。
 
まさしく神様側が勝利するのか?、サタンが妨害するのか?決戦の年でした。
 
その大事な2010年「日本の運勢表示体」であるタイガースに現れた暗示です。

【タイガースの創造原理的内容】

タイガースの創造原理的内容

 1,タイガースはアベルジャイアンツはカイン

 

 日本プロ野球球団は昭和9年12月26日、一番最初に長男として東京で巨人が生まれたそして翌年の昭和10年12月10日、大阪にて次男のタイガースが誕生しました。、巨人と阪神の宿命の対決はこれより始まります。

 

旧約聖書によるとアベルは「羊を飼う者」と書いてあります「羊を飼う者」すなわち放牧です、放牧は羊が食べる草を求めて常に移動しなければなりません、

 

タイガースの親会社は阪神電鉄です電車は人や物を運ぶため常に動いています、アベル「放牧」そしてタイガース「電車」常に動くという共通点が見られます。

 

 そしてカインは「土を耕す者」(農耕)と聖書に書かれています、農耕は土によってできた作物を刈り取ります、カインの立場のジャイアンツの親会社は読売新聞です、

 

新聞社はこの世の出来事を、かき集めて新聞を作ります。カインは「作物」そして読売新聞は「ニュース」を刈り取るという共通点が見られます

 

 タイガースとジャイアンツの成績を見るとジャイアンツは一位(長男)、タイガースは二位(次男)というシーズンが多かったです、この関係性を見てもタイガースがアベルジャイアンツがカインであることが分かります

 

2,阪神は神様の「ハン」

 
子供が誕生しますと親は子供に対して想いを込めて名前を付けます、そこで「阪神タイガース」という名前にどういう想い、意味が込められているのか調べてみたいと思います
 
その前に「姓名」についてすこし考えます。人は先祖代々から受け継ぐ血統を表す部分である「姓」と本人個人だけに付けられる「名」の二つを一つにし姓名、名前として使っています、そうして考えますと「姓」は縦的は意味合いを持ってい「名」は本人個人だけの付けられるので横的意味合いを持っていると思われます、
 

 

では「阪神タイガース」の「姓」にあたる「阪神」について考えてみます阪神は「ハンシン」を「恨ハン(韓国語)」の「神シン」とも読める、まさしく阪神は神の恨「ハン」を表わしています。。
 
 しかし注意しなければならないのは韓国語の恨「ハン」は日本語の恨み「ウラミ」とは違うのです。似ているようですが違うのです。

3,タイガースは(虎)は堕落エバを象徴
 
では次に姓名の「名」の部分タイガースについて語ります
神様は再臨のメシヤを韓国に送る為、韓民族を4300年(檀記)の苦難の歴史を通して韓民族を霊的に清め、1920年1月6日韓国の地に再臨のメシヤである文鮮明先生が誕生されました。
 
神様から4300年間、多くの試練、愛を受けた韓国の建国の神話に「檀君神話」というものがあります、
 
この「檀君神話」に「虎」が登場します、そこで「阪神タイガース」の「名」にあたる「タイガース(虎)」の意味を「檀君神話」に登場する「虎」を通して「タイガース」に込められた神様の思いを調べてみます。
 
まず簡単に檀君神話」の話を紹介いたします
 
 天界にいるハヌンは父(神)より「地上の人達を幸せにしてあげなさい」という願い受け父(神)の代身として白頭山の麓に多くの部下を連れて降りてきました。
 
そこでハヌンが素晴らしい国造りをしていると、それを見ていた熊と虎は羨ましくなり自分達も人間になりたいと思いハヌンに「自分達を人間にしてほしい」とお願いしました。
 
ハヌンは熊と虎に人間にしてやるから、よもぎ1束とにんにく20個だけで21日間洞窟の中で暮らしなさい。そして、その間、絶対に洞窟の外に出ては行けないという条件を与えましたいました。
 
虎はハヌンから与えられた条件を守れず途中で洞窟から逃げ出し人間になるのを諦めました、一方、熊はハヌンから与えられた条件を守り通して、念願の人間の美しい女になりウンニョ(熊女)と名乗りました。そしてウンニョはハヌンと結婚しました。
 
「壇君神話」の虎は人になる条件を守れませんでした。すなわち虎(タイガース)はエデンの園で神様の戒めを守れず堕落したエバを意味していると思われます。
 
次にタイガースカラーの黄色と黒色についてです。人は赤色を見ると興奮し、緑色を見ると安らぎを感じたりします。
 
そして黄色を見ると「気をつけよう」と感じるらしいです、その黄色に黒をつけると「気をつけよう」が強調され「危険」「注意する」と感じるそうデス、電信柱に黄色と黒の縞模様が貼っているにはそういう意味
です。
 
神様がアダムとエバに与えられた戒め「取って食べたら死ぬ」「。危険、危ない」という思いが黄色と黒のチームカラーに含まれていると思います。 
 
そして韓国のプロ野球、キアタイガースのホームグランドは韓国でのエバ地方、全羅道にあります。
 
こうして総合して考えるとタイガース(虎)は堕落エバを象徴していると考えられる。
すなわち阪神タイガースとは「堕落したエバは神のハン」というう意味に読み取ることができます。
 
4,甲子園は神様が愛する地
 
甲子園球場は野球をよく知らない人でも知っている球場です 。その甲子園を調べてみます。
まず「甲子園」の「甲」の意味を漢和辞典で調べますといろいろある中で「始め」という意味もあります、
 
聖書に「神は始めであり終わりである」と記されています、韓国語で神様をハナニム「始めの方」と呼びます、そういうところから甲の意味は「神」を象徴しているようです。
 
そういう事で考えると「甲子園」は「神の子が集いし所」と読み取ることが出来ます。
 
5,「六甲おろし」は神様の悲しみの歌
 
タイガースが勝つとフャンがかならず歌う「六甲おろし」の「六」、みなさんは「6」数はどういう数字であるかは、よくご存知だとおもいます。蘇生期、完成級で成長期間の6段階目であり、アダム、エバが堕落した6段階目でした。
 
六甲おろし」は六数で落ちた(堕落)したアダムとエバとよみ取れます。

【タイグースの堕落論的内容】

タイガースの堕落論的内容
 
1949年秋から1950年1月にかけて、タイガースの若林監督そして別当・呉・土井垣・本堂・大館らの6人の主力選手が新球団の毎日オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に自分たちの意思で移籍した。
 
この行為は球団、タイガースファンに対する裏切り行為と言えます。
 
しかし当時のプロ野球界では球団の選手に対する保有権が確立されておらず、選手がある程度、自分の意志で所属球団を選べたのでした。
 
その結果タイガースの戦力は落ち、その影響で永く低迷時代が続くことになります。

【タイガースの復帰原理的内容】

タイガースの復帰原理的内容
 
人類の復帰摂理はカイン、アベル問題を中心に展開されてきた。そして再臨のメシアを中心に1984年から実体、神様の国建国の路程を迎えました
 
その天運の中阪神タイガースでどういう動きがあったかを見てみます
1984年、1985年の年頭標語は「祖国創建」で実体神様の国創建スタートの年です
 
ではタイガースのカイン(高校出の選手)、アベル(大学出の選手)問題はどうだったか見てみましょう
 
第1次カイン、アベル藤村富美男別当薫)(打者同士)
 
 戦後まもなくタイガースには呉港中学(現代なら高校)から入団した藤村富美男という中心バッターがいました。
 
そこに昭和23年、東京6大学のスラッガー別当薫がタイガースに入団してきました。

 チーム内で藤村富美男別当薫はお互いライバル心を持ち2人共よく活躍したのですが二人の仲が悪く昭和25年、別当薫がタイガースを自ら出、他球団に移籍しカイン、アベル問題は失敗に終わってしまった。
 
第2次カイン、アベル小山正明村山実)(投手同士)
 
  昭和28年に高砂高校からタイガースに入団した小山正明は素晴らしいコントロールと変化球で活躍し次第にタイガースのエースとなっていきました。

そこに昭和33年関西六大学のエースの村山実がタイガースに入団してきました、そして村山実は長嶋と名対決を繰り返しチーム内での存在感が上がっていきました。
 
 しだいにチーム内では小山正明村山実の二人のエースが存在すろようになった。投手王国となりました。
 
このまま二人でタイガースを引っ張って行けばよかったのだが監督が「チームに強打者が必要だ」という理由で小山正明がトレードでタイガースを出されることになった。
 
第3次カイン、アベル掛布雅之岡田彰布)(打者同士)
 
 昭和48年習志野高校から掛布雅之がタイガースに入団した、入団してすぐ1軍選手になった掛布雅之は次第に3塁手のポジションを取り4番バッターと成長していっきました。

 そして昭和55年早稲田大学のスター選手である岡田彰布がタイガースに入団しました。
 
掛布雅之岡田彰布はカイン、アベルの問題でつまずくことなく、お互い相手の足を引っ張ることなく二人はチームの中心として頑張り1985年の優勝へとつながって行きました。
 
カイン、アベルが一体したのです。
 
1985年、タイガースが優勝した条件
 
 (1)1985年の優勝の前の優勝は1964年である。1964年から21年後1985年優勝しました。21数の天の数でした。
 
(2)球団社長がシーズン途中で亡くなりました。優勝への供え物だったのでしょう。
 
(3)1985年は天の大転換の年(実体、神様の国建国、始まる)だった。その天運を受ける
 
(4)吉田監督がタイガース3度目の在籍でした。
       
   一回目は選手(1953年~1969年)
        二回目は監督(1975年~1977年)
        三回目も監督(1985年~1987年)
 
 (5)1984年選手会長をしていた掛布雅之(カイン)から1985年選手会長岡田彰布アベル)になった。アベルの長子権復帰がなされた。
 
1992年、南北統一、神様の国建国の年として予定されていました。7年路程で1992年を迎えようとすると1986年が実質神様の国建国のスタートの年であった思われます
 
1984年と1985年は神様の国建国路程の準備期間と思われます
その1985年にタイガースが優勝(復帰摂理完了)したのでしょう
 
そして復帰摂理が完了したタイガースは1985年、以降、日本の運勢の表示体と変貌します。

【龍馬の天的使命】

キーワード

1、神様は1868年~1988年日本に特別祝福を与えられた。
2、国進様の御言葉「エリート層による革命はアベル的、民衆層による革命はカイン的」
 
坂本龍馬が神様の使命を受けていたことを御知らせいたします、しかし坂本龍馬は神様の使命をまっとうできず1867年、暗殺されてしまいました。
 
 
では、坂本龍馬が生きていたら、どのように使命をまっとうしたのか、話してみます。
 
 
朝鮮は中国(清)より強く干渉を受けていました新しい王が即位するときは清の承認が必要だったのです。故に朝鮮は完全独立国家とは言えない状態でした。
 
 
そして国内では清に従っていくことがいいことだと考える事大主義が主流になり自主独立の精神が失われていました。
 
 
宮廷では常に権力争いがあり国内の政は賄賂で決められる腐敗政治が蔓延していました。両班(貴族)が民を支配する封建体制で多くの民は貧しさと飢えに苦しんでいました。
 
 
そういう朝鮮に再臨のメシアを受け入れる国造りのための神様が準備された革命が1884年12月4日起ったエリート階層アベル型革命「甲申政変」です。
 
 
しかし「甲申政変」は三日天下とも言われ一度は親日開化派による政権が出来たのですが、閔妃(王妃)の依頼を受けた清軍が革命を鎮圧、親日開化派に協力した日本の竹添公使は仁川に逃亡、金玉均親日開化派の一部も竹添公使に従い仁川に逃げそのまま船で日本に逃げ革命は失敗しました。
 
 
この「甲申政変」はお粗末な革命でありました。
 
 
この「甲申政変」は韓国に再臨主を迎え入れための革命であり再臨主を中心とした復帰摂理で重要な摂理だったのです。そして「甲申政変」を成功させるにはエバ国(日本)の援助を受け成功させなければならなかったのです。
 
 
しかしエバ国(日本)から充分な支援を受けずに革命を決行してしまったので「甲申政変」は失敗に終わってしまいました。
 
 
そしてエバ国(日本)を代表し親日開化派を援助し「甲申政変」を成功させようと神様が準備された人物が坂本龍馬だったのです。まさしく海を渡り支援する「海援隊」なのです。
 
 
神様から使命を受けていた坂本龍馬は日本が神様から特別祝福を受ける直前、1867年12月10日殺されてしまいました。もし近江屋で坂本龍馬が難を逃れ殺されず生き逃れていれば坂本龍馬は神様から守られ使命を全うしたと思います
 
 
では神様は坂本龍馬を使ってどのように親日開化派を援助しようと計画されたかを話します。(坂本龍馬が明治時代のに生きていた、という前提です)
 
 
明治になり海援隊土佐藩の管理下に入り土佐藩士、後藤象二郎の監修を受けることになります、そして海援隊は九十九商会そして三菱商会と名前を変えていきます
 
 
1877年西南戦争の時、明治政府は三菱商会に戦場への人員、物資の輸送を依頼し三菱商会は明治政府のために働き儲けることができました。
 
 
戦いが終わった後、明治政府は三菱商会に薩摩軍が残した銃、約一万丁の回収、処理を無料で委託します、このことで坂本龍馬はタダで銃一万丁、そして大金を得ることになります
 
 
南北に分かれたアメリカを統一した南北戦争に使用された銃は大量に日本に流れ込みました。、
 
 
幕末アメリカから大量に入った銃は日本を近代民主国家に導いた銃となり、今度は朝鮮半島に再臨のメシアを迎える為の銃になるのです。
 
 
1879年、韓国の親日開化派は日本の実情を知り、そして援助者を探すため李東仁を日本に送りました。
 
 
李東仁は福沢諭吉後藤象二郎ら文化人、経済人に会っています、坂本龍馬が生きていれば後藤象二郎の紹介で坂本龍馬と李東仁は会っているはずです、
 
 
そして李東仁は坂本龍馬に近い将来、韓国で行われるエリート階層アベル型革命の支援を依頼し坂本龍馬は受諾したはずです
 
 
金玉均親日開化派は知識人だったので自分達で兵を集い銃を持ち革命を起こすという考えはあっても武器を持って革命を成功させる方法が分からなかったのです。
 
 
そこで坂本龍馬金玉均親日開化派のリーダー達に自ら将軍となり兵を集めさせ戦闘訓練し戦略、戦術を親日開化派のリーダー達そして兵士達に教え、銃一万丁、弾丸、弾薬を与え親日改革革命軍を作ります。
 
 
坂本龍馬(日本)の協助で出来た親日改革革命軍は1884年12月4日宮廷にいる親日開化派を支持している高宗と息を合わせ「高宗の命による革命」という錦の御旗を立て親日開化革命軍は宮廷を占領します。
 
 
中国(清)支持派の閔妃一派を投獄し親日派革命軍はソウルにいる清軍1500名と朝鮮政府軍(小規模)を撃破し革命を成功させます。
 
 
そして高宗と親日開化派が韓国新政府を作ります
 
 
親日新政府は韓国を日本をモデルとした近代民主国家に作り上げます。そして清に対して干渉を拒否、完全独立を宣言します。もし清が攻めてきたら韓日共同で戦い清を撃退します。
 
 
そして親日韓国政府は日本の援助を受けながら再臨主を受け入れるに相応しい近代民主主義国家、韓国を作っていきます。
 
 
この坂本龍馬エバ国の代表)の行為はエデンの園エバがアダムを誘惑し堕落させてしまったのと、全く逆でエバがアダムを助けアダム国家(韓国)を神様の願いどうりに作ったことになります。
 
 
日本がエバの国家基準の蕩減復帰したことになり、再臨のメシアが韓国に降臨する準備を協助したことになります。
 
 
1920年1月6日(陰暦)近代民主主義(キリスト教)国となった韓国の定州に再臨主である文鮮明先生が誕生されます、そして韓国は文鮮明先生を国の指導者として受け入れます。