三代王権を訪ねて

私は第二王亨進様と共に歩むものです、しかしブログの内容は聖殿教会(サンクチュアリ教会)とは関係ありません、私の私案です。

【タイガースの復帰原理的内容】

タイガースの復帰原理的内容
 
人類の復帰摂理はカイン、アベル問題を中心に展開されてきた。そして再臨のメシアを中心に1984年から実体、神様の国建国の路程を迎えました
 
その天運の中阪神タイガースでどういう動きがあったかを見てみます
1984年、1985年の年頭標語は「祖国創建」で実体神様の国創建スタートの年です
 
ではタイガースのカイン(高校出の選手)、アベル(大学出の選手)問題はどうだったか見てみましょう
 
第1次カイン、アベル藤村富美男別当薫)(打者同士)
 
 戦後まもなくタイガースには呉港中学(現代なら高校)から入団した藤村富美男という中心バッターがいました。
 
そこに昭和23年、東京6大学のスラッガー別当薫がタイガースに入団してきました。

 チーム内で藤村富美男別当薫はお互いライバル心を持ち2人共よく活躍したのですが二人の仲が悪く昭和25年、別当薫がタイガースを自ら出、他球団に移籍しカイン、アベル問題は失敗に終わってしまった。
 
第2次カイン、アベル小山正明村山実)(投手同士)
 
  昭和28年に高砂高校からタイガースに入団した小山正明は素晴らしいコントロールと変化球で活躍し次第にタイガースのエースとなっていきました。

そこに昭和33年関西六大学のエースの村山実がタイガースに入団してきました、そして村山実は長嶋と名対決を繰り返しチーム内での存在感が上がっていきました。
 
 しだいにチーム内では小山正明村山実の二人のエースが存在すろようになった。投手王国となりました。
 
このまま二人でタイガースを引っ張って行けばよかったのだが監督が「チームに強打者が必要だ」という理由で小山正明がトレードでタイガースを出されることになった。
 
第3次カイン、アベル掛布雅之岡田彰布)(打者同士)
 
 昭和48年習志野高校から掛布雅之がタイガースに入団した、入団してすぐ1軍選手になった掛布雅之は次第に3塁手のポジションを取り4番バッターと成長していっきました。

 そして昭和55年早稲田大学のスター選手である岡田彰布がタイガースに入団しました。
 
掛布雅之岡田彰布はカイン、アベルの問題でつまずくことなく、お互い相手の足を引っ張ることなく二人はチームの中心として頑張り1985年の優勝へとつながって行きました。
 
カイン、アベルが一体したのです。
 
1985年、タイガースが優勝した条件
 
 (1)1985年の優勝の前の優勝は1964年である。1964年から21年後1985年優勝しました。21数の天の数でした。
 
(2)球団社長がシーズン途中で亡くなりました。優勝への供え物だったのでしょう。
 
(3)1985年は天の大転換の年(実体、神様の国建国、始まる)だった。その天運を受ける
 
(4)吉田監督がタイガース3度目の在籍でした。
       
   一回目は選手(1953年~1969年)
        二回目は監督(1975年~1977年)
        三回目も監督(1985年~1987年)
 
 (5)1984年選手会長をしていた掛布雅之(カイン)から1985年選手会長岡田彰布アベル)になった。アベルの長子権復帰がなされた。
 
1992年、南北統一、神様の国建国の年として予定されていました。7年路程で1992年を迎えようとすると1986年が実質神様の国建国のスタートの年であった思われます
 
1984年と1985年は神様の国建国路程の準備期間と思われます
その1985年にタイガースが優勝(復帰摂理完了)したのでしょう
 
そして復帰摂理が完了したタイガースは1985年、以降、日本の運勢の表示体と変貌します。